鹿児島で研修医してます。

九州をこよなく愛するちょっと不真面目な研修医のブログです

【本】漫画で優しくわかるオープンダイアローグ

この本は向後先生、久保田先生というカウンセラーと臨床心理士の先生によって書かれた本です。

本を読んだことある人からは〇〇さんって書いたほうがセンスあるよって言われそうです。

 

漫画で分かるという題名とは違って、漫画は何ページかで説明文が大半を占めていました。

本文では漫画でケースを読んでそのあとに漫画の会話について解説をしてもらうという内容の本でした。

名瀬徳洲会で働く平島修先生の勧めでタクシーの中でAmazonでポチり当直の待機時間中に読んでみました。

 

オープンダイアログに関してかなり詳しく記載されていました。

入門へのとしてはわかりやすい本なんじゃないかと思いました。

 

オープンダイアログというのは、クライアントと複数人セラピストが対等な立場で対話を行い、その後にクライアント同士やオーディエンスが対話を行うのをクライアントに診てもらうというセッションを何度かするような手法で行うことのようです。

 

すごく面白い手法だなと思いましたが、これを日本で運用するにはかなりハードルが高いと思いました。

実現するには提案者かオーディエンスに場を支配する能力みたいなものが必要なんじゃないかと思いました。

日本では知識の量や、権力、年齢で順序を付けることが多く、対等な立場での対話を行うことが少ないからです。

 

実現するにはかなりの対話力の持ち主か、信頼される能力を持っている人の協力を得るか、自らオープンダイアログを望んできたクライアントに運用する方法がやりやすいかなと思いました。

 

とはいえ私は精神の専門家ではないので何か別のことに運用できないかなという考えになるわけですけど。。。

 

多分正解がないものに対しての議論がオープンダイアログには向いている気がします。

例えば入院患者さんの今後の管理、方針についてとか。イベントの内容を議論するときだとか。

ネックなのは最終的に必ず意見をまとめないといけないという点です。

下手をすると最終的にやっぱり権力のある人とか声が大きい人の意見が最終的な合意を得てしまうことが多いと感じるのでなんだかなあと思います。

 

あとは終末期の医療の意思決定についてはよい手段かなとは思いました。

本人や家族に明確な意思があるときには、どうかなと思いますが、意思決定できる人がいなかったり、ご家族が悩んでいて決め切らないときなどにいろんな人の意見を聞いていろんな方法を考えられるのはよいのかなあとも思いました。

 

ただ、出された意見でどの意見が現実的でない場合や最終的な意見の決定をどのくらい待てるのかといった問題が絡んでくるので本で記載されたオープンダイアログの手法をまるまま流用することはやっぱり難しそうです。

 

むずかしいむずかしいいってきましたが対話という手法をカウンセリングで用いるというのはなかなか素敵なことなんじゃないかと思いました。

患者さんとお話しするときにこの手法を頭の隅において少し意識しながら話すのは結構臨床として使えるんじゃないかと思います。

まあ、実践してみないと多分わからないんですけどね。

 

ああ、また一つ賢くなってしまった!!

思いついたことに蓋をしないぞ!

さらに向こうへ、Plus Ultra!!!

【論文】熱性けいれんと熱性けいれん後の無熱性てんかん発作の発症の危険因子

最近入院で初発の熱性けいれんの方を担当したので熱性けいれんについての論文を読んでみました。

 

現在小児科ローテーション中なので、小児ちゃんとも、ご両親ともかかわることが多く、成人の患者さんとの違いを痛感する毎日です。

そんな小児科もはや3/4が終了し、いろいろと勉強したことがまとまってきたので、へたくそなパワポですが、出していきたいと思います。

 

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読んだ論文はSeizure:EuropeanJournalofEpilepsyの 

Febrile seizures: Are they truly benign? Longitudinal analysis of risk factors
and future risk of afebrile epileptic seizure based on the national sample
cohort in South Korea, 2002–2013

 

はい、コピペができるようにテキストでも置いておくので、ぜひ読んでほしい。

なかなか濃い内容で読み込むのにめっちゃ時間かかりました!!!

 

Abstractは本文をまるっとまとめただけなので、省略。

 

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タイトル通り、熱性けいれんの危険因子と、熱性けいれんの発症後に無熱性てんかん発作になる危険因子について分析します!ってことですね。

 

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Table1-4では仮説①についての分析の結果をそれぞれ個人ごと、ケースごとに書いてます。

個人ごとにみると男性、早産、出生時の脳損傷が、

ケースごとにみるとより若年、男性、早産、消化器・泌尿生殖器感染症、敗血症、熱性けいれんん発作の回数、無熱性てんかん発作を疑う熱性けいれんのエピソード、出生時の頭部外傷、脳性麻痺

熱性けいれんの危険因子と分析されています。

 

この論文を読んでると、救急外来とかできた5歳以下の小児にはスクリーニングとしてルーチンに出生時の問題点がないか、おおざっぱにでも聞いとくと、よいのかもしれない。

うーん、でもそもそものけいれんの発生率が10人に1人ぐらいだと考えると、お母さんの不安をあおるだけなのかもしれない、、、

けいれんのリスクが高い2-3歳の小児だったらルーチンに聞くぐらいで、いい塩梅を探るのが多分大事。

 

では次。

仮説②!

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無熱性てんかん発作の診断の危険因子としては熱性けいれんの合計回数、年齢、出生時の脳損傷の既往が関連しているみたいでした。

 

確かにけいれんを何度かしたことのある人には脳波のスクリーニング検査にかけるって上級医が言っていた。

聞いたことある。さすが上級医。

 

この後に考察が続くんですが、、、

これが結構長いので、確実にこの記事が間延びしてしまう。。。

どうしても気になる人は、この論文フリージャーナルなので自分で読んでいただくとして。

 

この論文のいいところは多分、細菌感染症や、消化器・泌尿器感染症でけいれんのリスクが上がるというポイントが分かったこと。

もしけいれんを何回かしている人で、尿路感染症で受診したら、一応リスク高いし。ルートキープしとこう!

とかの参考になると思います。

 

この論文の微妙ポイントは家族歴に関しての分析がないこと。

まあ、ないデータは分析できないというのはごもっともなんですが。

普段の診療でもけいれんの患者さんは、家族歴とか無心でとっていたのに。。

考察に出てきた先行研究で遺伝学的に関連があるっていう分析が出ているので無関係ってことはないと思うけどな。これから勉強します!

 

熱性けいれんにいいついての論文読みました。

抄読会に出したので今回は割ときれいにまとめてたから記事書きやすかった。

 

それでは皆さん。また、そのうち!


 

【本】急に具合が悪くなる

 

https://www.amazon.co.jp/dp/4794971567/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_c6wLFbDXK2XSG

この本をポチったのは多分夏前だったと思うのでかれこれ3か月くらいは放置していた計算になるのですが。。

 仕事が忙しくて忙しくて読むひまがないとか決してそんなわけではなく、

今日もお休みの中どう森に励み、テレビを見ながら昨日届いた新しいパソコンの初期設定を行い、ご飯を作って、お風呂につかってなんとも優雅に過ごしていました。

 月曜日の昼までにしないといけない仕事を思い出して、明日は早く病院に行かないといけないな、なんてことを考えている最中です。

 

 どうしてこの本を読むのにこんなに時間がかかったのかというと、この本が到底少しづつ読めるような本ではなかったことが大きな原因の一つです。

 

 この本は書簡というかっこいい名前の手紙(厳密には違うのかもしれませんが)を通じて二人の文化人類学者のやり取りを知ることができる本です。多分。

 どうして多分なんて適当な言葉がついてしまうのかというと、私の語彙力では到底この二人の間の関係性はおろか、どちらともの考えていることにたどり着けないなとそう思ったからです。

 そして一気に読まなければこの二人の世界観に入り込めないのです。ほかの情報を入れると二人の近くからはじかれてしまう。途中から読むと二人の空白にある空気感が自分の感覚の中から離れてしまう。

 

 話は変わりますが、私は医師国家試験に受かるその時まで、いや確実に今でも医師として働くことに恐ろしさを感じています。

 それは医師としての責任の重さや、期待といったものが自分に課せられることが恐ろしいと思うことももちろんあるのですが、自分のように適当に無責任に軽率に生きてきた人間に医師というかっちりとした肩書を載せられることに不快感を感じていたことと、医師になることで自分の生活の中に生と死という概念が近づいてくる感じが恐ろしいと思ったことによるものだと思います。

 前者に関しては今は医師として働く中で医師の中での多様性を感じれるようになってきたこと、自分自身が医師になった今となっては医師に求められるものが期待や信頼だけではないようにわざと周りに示すことで回避できているような気がします。私は専門家であって、聖職者ではないのです。休日は休むし、わからないことは調べるし、最後は神に祈ります。

 後者に関してはまだまだ恐ろしいです。自分が何もできないことなんて当たり前のようにあるし、怖い思いをしたこともあります。

 こういう経験をしたときにほかの職種についていればあと少なくとも20年くらいはこのような状況の人とどのように接すればいいかなんて考えなくてよかったんじゃないかなんて思ってしまうのです。

 

 この本で私は文化人類学者という言葉の専門家によって死にゆく患者の思いをできる限りかみ砕いて知ることができたような気がします。

 しかしこれはこの二人だから生み出せた物語でこれが正解ではないということもしっかりと意識しないといけないと思います。

 この二人の物語は強固な理性と、知識の積み重ねがあったこそ生み出せた物語であって、ほかの例えば明日病棟で会う患者さんには全く当てはまりません、私が明日会う患者さんは文化人類学者ではないのだから。

 

 明日会う患者さんにこの物語が当てはまらなかったとして、この本を読んだ時間が無駄だったかというとまったくもってそんなことはなく、この本は私自身のためになったと自信をもって言うことができます。この本は私の私自身の心のもやもやを言語化してこういうことに悩んでいたのか、こんな風に定義すればいいのかという知識を与えてくれました。

 

 ACPの概念において第三の患者は医療者であるという言葉がありますが、その言葉はことばだけでだからと言って医療者も休息をとってリフレッシュしなければならないとかいう適当な言葉だけで、どうしたらそこそこのペースで訪れる患者の不安に充てられる私の心のリフレッシュの方法やケアの方法は具体的で革新的な方法は提示してくれません。

 生と死とは、偶然と確率論とは、不運と不幸とはそういうあいまいなものをもやもやもやもやさせたまま心だけを整理することなんてできなかっただろうから、いいヒントをもらえた気がします。

 

 きっとまだまだぐるぐる考えてしまうんだろうけど少しずつ言語化していけるような人間にきっとなれると信じて。まだやれる。