【本】急に具合が悪くなる
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この本をポチったのは多分夏前だったと思うのでかれこれ3か月くらいは放置していた計算になるのですが。。
仕事が忙しくて忙しくて読むひまがないとか決してそんなわけではなく、
今日もお休みの中どう森に励み、テレビを見ながら昨日届いた新しいパソコンの初期設定を行い、ご飯を作って、お風呂につかってなんとも優雅に過ごしていました。
月曜日の昼までにしないといけない仕事を思い出して、明日は早く病院に行かないといけないな、なんてことを考えている最中です。
どうしてこの本を読むのにこんなに時間がかかったのかというと、この本が到底少しづつ読めるような本ではなかったことが大きな原因の一つです。
この本は書簡というかっこいい名前の手紙(厳密には違うのかもしれませんが)を通じて二人の文化人類学者のやり取りを知ることができる本です。多分。
どうして多分なんて適当な言葉がついてしまうのかというと、私の語彙力では到底この二人の間の関係性はおろか、どちらともの考えていることにたどり着けないなとそう思ったからです。
そして一気に読まなければこの二人の世界観に入り込めないのです。ほかの情報を入れると二人の近くからはじかれてしまう。途中から読むと二人の空白にある空気感が自分の感覚の中から離れてしまう。
話は変わりますが、私は医師国家試験に受かるその時まで、いや確実に今でも医師として働くことに恐ろしさを感じています。
それは医師としての責任の重さや、期待といったものが自分に課せられることが恐ろしいと思うことももちろんあるのですが、自分のように適当に無責任に軽率に生きてきた人間に医師というかっちりとした肩書を載せられることに不快感を感じていたことと、医師になることで自分の生活の中に生と死という概念が近づいてくる感じが恐ろしいと思ったことによるものだと思います。
前者に関しては今は医師として働く中で医師の中での多様性を感じれるようになってきたこと、自分自身が医師になった今となっては医師に求められるものが期待や信頼だけではないようにわざと周りに示すことで回避できているような気がします。私は専門家であって、聖職者ではないのです。休日は休むし、わからないことは調べるし、最後は神に祈ります。
後者に関してはまだまだ恐ろしいです。自分が何もできないことなんて当たり前のようにあるし、怖い思いをしたこともあります。
こういう経験をしたときにほかの職種についていればあと少なくとも20年くらいはこのような状況の人とどのように接すればいいかなんて考えなくてよかったんじゃないかなんて思ってしまうのです。
この本で私は文化人類学者という言葉の専門家によって死にゆく患者の思いをできる限りかみ砕いて知ることができたような気がします。
しかしこれはこの二人だから生み出せた物語でこれが正解ではないということもしっかりと意識しないといけないと思います。
この二人の物語は強固な理性と、知識の積み重ねがあったこそ生み出せた物語であって、ほかの例えば明日病棟で会う患者さんには全く当てはまりません、私が明日会う患者さんは文化人類学者ではないのだから。
明日会う患者さんにこの物語が当てはまらなかったとして、この本を読んだ時間が無駄だったかというとまったくもってそんなことはなく、この本は私自身のためになったと自信をもって言うことができます。この本は私の私自身の心のもやもやを言語化してこういうことに悩んでいたのか、こんな風に定義すればいいのかという知識を与えてくれました。
ACPの概念において第三の患者は医療者であるという言葉がありますが、その言葉はことばだけでだからと言って医療者も休息をとってリフレッシュしなければならないとかいう適当な言葉だけで、どうしたらそこそこのペースで訪れる患者の不安に充てられる私の心のリフレッシュの方法やケアの方法は具体的で革新的な方法は提示してくれません。
生と死とは、偶然と確率論とは、不運と不幸とはそういうあいまいなものをもやもやもやもやさせたまま心だけを整理することなんてできなかっただろうから、いいヒントをもらえた気がします。
きっとまだまだぐるぐる考えてしまうんだろうけど少しずつ言語化していけるような人間にきっとなれると信じて。まだやれる。